何だろう?何か俺やらかしたかな?

はい! icon16小走りに親父さんに近寄りました。

おい、稲垣!大草楽しいか?て!

もちろん はい!て言うしかありませんよね。

そしたら続けて、『おい、渡辺(兄弟子)』て、呼びました。

明日から、稲垣と大草習えな!!って

僕の中で漠然と『いつも悪いなー』って言う気持ちから開放される喜びでいっぱいでした。face02

それからは、毎週火曜のPM2:00から3:00まで、

そして、PM11:30から、1:00位までやるようになりました。

でもエラかった!icon15

だって、仕込み出来てないんだもん。face07

大草が終わってから、店に戻り、それから仕込みです。

 親父さんには、いつも仕込みは、終わりましたと嘘を言ってたのでコソコソ店で仕込みました。

親父さんに正直に言うと叱られると、兄弟子は思っていたので正直言えなかったみたいです。

たぶん、今の若い子は、この気持ちは、わからないと思います。

今の子は、言いたいことを言うのが言わなきゃ損みたいに言って来ますから。

僕たちのころは、言うときは、やめるとき!

師匠の言うことは、絶対でしたから。

親父さんは、『仕込みは、PM11:00までにしとけよ!』が、口癖のように言ってましたから、

兄弟子は、はい!と言うしかなく、  『出来ませんでした』   なんか言えないし、

信用がなくなると思ってましたので、出来てないのに出来た振りをするのが大変でした。icon11

(どういうのか、責任感が強い人は、みんな仲間は、していたかな!)



最初は、良かったのですが、毎週来るたびに、憂鬱になってきました。face07

でも、続けることに意味があると、昔から思ってましたからこの先にはまた良いことが待ってるって

言い聞かせながらやってたのを思い出します。


今思うとあの時は ほんとに辛かったけど、この長野に来て、出会った今現在の駒ヶ根の師匠

言われた言葉が、若いときに耐えてきたすべてのことが19年目に報われました。

『みんな 若いときは、修行の身。最終的には、忍耐力の修行なんだ』と。

嫌だからやめるとか、合わないからやめるとか、人間関係でやめるとか、みんな自分の気持ちでやめていき

ます。

でもね、でもね、それって自分だけの事しか考えてない行動だよ!

急にやめたら仲間も困るし、会社も困る。いらない人ならいいけど、そんな人は居ないと思う。

家族にも心配かけるし、何も良いことはないんだなーこれが!

やっぱり目標を立てそれをクリアー出来た時にやめるべきだし、1,2年で覚えれる仕事なんかないから。

3,4年は我慢しないと、体が仕事を覚えてくれないんだな。

体が覚えた仕事は、誰にも負けないし、誰にも真似できない、自分だけの宝なんだな。

それが解るのは、だいぶ先だけど、耐えて続けていれば、どうにかなって行くもんだよ!!

問題や難題が起きたら逃げないこと。それをクリアーしなきゃ、どこ行ってもまた同じことで悩まにゃきゃ

いけない。

目の前にハードルや壁が現れたら、脇道を行き遠回りするか、壊したり、倒したり、もしくは、飛び越えたりして、前に進まにゃきゃね!

それでも、前に進むことができなきゃ、進む為に相談しにゃきゃ!

だから、仲間が必要なんだね。

頑張っていれば、仲間が見てくれる。相談にも乗ってくれるんです。

だから、人を裏切ってはいけないし、はめてはいけない

自分で思うのは、おこがましいが、自分がみんなを助ける気持ちで頑張れば、どうにかやれると思うな!

そうしてきたし、これからもそうして行くつもりだし。

前も言いましたが、働くとは、はた(他の人)を楽にすることです。自分が動けば良いこと。

みんな頑張ってください。

なんて言ってる僕もまだまだ修業中!!

一緒に頑張りましょう!

こう思えてきたのもあの親父さんに付いて行ってたからだと思います。

でもね、でもね、人情ある親父さんだけど、怒ると本当に怖いんだから。

オシッコちびりそうなんだから(笑)
以上  自分が交われた3つの場面を紹介しました。

板前のみなさんや調理師のみなさん!

世界の和食です。    自信持って行きましょう。
もうすぐ 和食も世界遺産になるかもよ?(^^)


        親父さんの教訓
        叱られて 叱られて 賢くなるんだ!

怒られることは仕方ないとしよう。     だけどね!怒られはしちゃあダメ!

怒られ方にもコツがある!

怒られたことは必ず治すこと。それが5回怒られてもいい、10回怒られてもいい、必ず治すこと!!

そのためには、自分の怒られノートを作って忘れないこと。

ほかの方法でもいい!

とにかく忘れないこと!

そうすれば、怒られる方怒る方も、報われます。

どんなわからない仕事内容でも、聞かずに怒られるな!聞いて怒られた方が、みんなより、2歩も3歩も進むから!

『どうせ怒られるなら得して怒られよう精神』でチャレンジしてください。
 今夢中になっていることは、これ 
調理師会の勉強会で習ったカービングと言う飾り切りの技法で
作った花です。とても難しいです。








 先生が作るとこんなにすごいです。








 今現在は、やっとこれだけ出来る用になりました。












1に努力・2に努力・3に遊び心ってか!icon14  じゃ、また!!





         


2011年11月22日 Posted by タカトシ at 10:19Comments(0)

3つ目の転機

さあ最後の3つ目の転機です。

僕は、その転機からガラッと仕事に対する姿勢が変わりました。  

それは、ある日、親父さんから大草覚真流という包丁式を習うことを進められました。
《包丁式とは、1匹の魚や野菜を直接手を使わずに包丁とすごく長い箸だけでさばいていき、そのものを殿様や神殿に献上する儀式です。》

武士の儀式なので礼儀も厳しいが、なんせずっと正座のまま移動したりお辞儀したり、魚をさばいたりするので、

膝の皮がめくれたり、足がしびれて立つときに捻挫したりして下半身がガタガタでした。icon11

そのころは、仕事の途中《22時30分ごろ》、抜けて稽古していました。

だけど、働いていたさかな屋は、終わるのが深夜2時。

なので、やっぱり仲間にはとても悪い気がしてました。兄弟子も弟弟師もいい気はしませんよね。

なので、昼の休憩や休みの日に出て教えていただこうと思い、お願いしました。

さあ、ここからです。3ヶ月休みも無く、彼女とも少ししか会えず苦しい日が始まりました。

だけど、内容は、濃い3ヶ月でした。



教えていただく、法師は、他の店の料理長で弟子も3,4人居ました。

教えていただくには条件がありました。

教えてくださいという誠意を見せなさいと言われました。

僕的には、???????がいっぱいで何を言いたいのか解らなかったのです。

実は僕が教えていただく料理長やお弟子さんたちは、僕のために、大事な昼の休憩を無しにして教えてくれてたのです。

そして、法師は言われました。

「お前が練習できるのは仲間の助けがあるから出来るんだ!だから、その恩を返さなきゃ駄目だよな!」

その通りです。自分だけでは事は進めません。みんなの助けがあって成り立ってるんです!

と、気づいたときまず行動に出たのは、自分の仕事場です。

みんなが楽になるような仕事をしようと思い、みんなより早く寮を出て少しでも仕込みをやれば、みんな許してくれると思いました。

もう1つは、法師の仕事場です。休みのたび、9時から午後2時まで法師の店を手伝い、それから、稽古をしました。

それからです。自分がガラッと変わりました。

なぜか?

それは、法師のお弟子さんたちの仕事のの早いこと、早いこと。

それを見たからです。

よーいドン!と甘えびの皮をむく作業では、僕と同じ年の人でしたが、めっちゃ早く剥くんです。 

あと、僕より年下の子が寿司場をまかされちらし寿司を作っていました。

そして極めつけは、そこの2番です。

どんどん入ってくる、オーダーを見て指示をみんなに出しながら、自分の持ち場もしっかりこなし、料理長にも気を使っている

2番さんを見て、その職場で働かせていただいていることの新鮮さが、僕を変えてってくれたのです。

2番の方は、笠井さんという方でした。

しゃべると面白く、いろんなことを知っていて、仕事や稽古では、筋の通る教え方でした。

僕の憧れでした。だからですよね。

笠井さんの真似がしたくなるんです。    ワクワク・・・!icon14

笠井さんの料理を盛る姿勢やスピード!そして指示の出し方。

すごく勉強になりました。

でもつらかったですね。休み無かったですし。

彼女とも別れる寸前でした。

そして3ヶ月経つ頃、それを見ていた、親父さんが仕事中に僕を呼びました。

何か俺やらかしたかな?  ドキドキ

親父さんに近づきました。

ハイっ!

・・・・・・・つづく



     人は裏座敷にいて始めて、豊かな気持ちになれる。         
            親父さんの人生訓
笑われて  笑われて  知識を養うんだ!
笑われるのは誰でもいやですね!でもそのプライドを無くすことによって得るものがいっぱいあります。
信念は大事に持ってください。けれど薄っぺらいプライドなら無いほうがいい事もあります。
若者よ!30歳まではがむしゃらに頑張ってください!



岩魚の昆布〆と信州サーモンです                                                                  




500グラムぐらいの岩魚を使っています。
  


2011年09月24日 Posted by タカトシ at 01:30Comments(0)

恐る恐る、伝票を見ると、そこには、・・・・・・・・・。

その伝票を見ると イサキの塩焼き 4 って、書いてありました。
唖然でした。

このときの気持ちは、なんていうか、とても複雑で正直そこから 逃げ出したかったです。icon16

そして、親父さんは、icon08怒ってました。自分は、顔も見れず、「すいませんicon10」の一点張り、

親父さんが、一言、「お前ほんとに3って書いてあったのか?」       「はい!」   え!!

今考えると 訳わから無くなっていたんですね、

そしたらです、親父さんが「よし解った。その紙見せろ。」と、・・・・・・・

しかし、そこの店は、終わった伝票は、残飯に捨ててました。face07

仕方ありません。    頭では、解っています。

兄弟子が間違えて教えたこと。絶対に伝票はと書いてあることを。

自分は、訳もわからないまま、それもいっぱいになったゴミの山を別のゴミバケツに少しずつ移しながら

一つ一つ小さな伝票を開いて確認しました。      後輩からは、冷たい視線、親父さんからは、シカト。

情けなくて、情けなくて、       あれこれ40分ぐらい経った頃、ゴミも半分ぐらいになって

気持ちがズタズタに折れてたときに  ツカツカと、さりげなく兄弟子が寄ってきて ささやく様に、

ごめん!本当にごめん!」と、言ってきたんです。

もうそこからです。

やら鼻水が止まらないくらい溢れてきました。

そこですごく冷静になり、探している間、恨んでいた兄弟子も気にしていてくれてたんだと、

思い、またそこでも追い討ちでがドバーicon11

見るに見かねた、女将さんが、もうやめな!その一言でまたドバーicon11

でも親父さんだけは、許してくれませんでした。

何も言わず、見てました。     正直、もうやめよーおーーーー。僕には付いていけないかも?

って。   思っていたときです。

なぜか上の方にあってもいいくらいの伝票が最後のそこが見えるところで出てきました。

びしょびしょの伝票 やっぱりでした。

それをもって、親父さんの居る所に行き   「ありました。」 もう目なんか、まぶたボーーーン

自分的には、「お前は、アホや!」、拳骨ゴーーーンと思ってました。

そしたら。   睨むようにface09見て、何も言いませんでした。

やべーーーーーーーー。

そんな気持ちで、仕事の続きをしていました。   でも、なぜか涙が止まりません。icon11

カウンター越しのオープンキッチンでしたので、お客さんからもあの子泣いてない?という声が聞こえてきます。icon15
    {それも店の売りでした。頑張っている若い衆が見れるみたいてきな。中には、何処かの店が引き抜きに来ることもありました。}

どうこうしていたときです。突然、親父さんが、「おい!河豚おろせっ!」て 言ってくれました。

自分は、まだ触ったことがありませんでした。   え!!

僕も戸惑いながらモジモジしてたら 「お前さばいたこと無いのか」   「渡辺!教えてやれ!」っと

兄弟子に言いました。

{その始まりで、河豚免許も取ることが出来ました。}

兄弟子と一緒にさばきながら、すごく気を使ってくれました。当然です。チクリませんでしたから。icon22face02

でももしかしたら、親父さんは、知っていたかもしれません。そう思います。兄弟子が正直にかげで話していたのかもしれません。

僕は、試されていたのかも?    そして飴とムチ!僕はそのコンタンにはまり厳しい中残ることを決意しました。

親父さんが帰るときいつも「もう帰るな!」っと 言って帰り 車が出るまで僕たちは、見送っていましたが、

そのときは、「おう!」の一言みんなで見送りに出て行こうとしたら、「いいから片付けろ!」と

つかつか店を出て行っちゃいました。

僕は、ずっと誤らなきゃと思っていたので、今がチャンス!

追っかけていき、「親父さん!  先ほどは、すいませんでした。明日から気を引き締めて頑張って行きたいと思ってます。明

日からもお願いします。」
て、自然に誤ることができて、車を見送れました。

店に帰ったら兄弟子が心配して、「誤ってきた?」と聞いて、「はい!」と答えたら、ホッとしてました。

もし、僕がその行動に出なかったら、兄弟子が誤ってきなって言うとこだったみたいです。

その後、後輩の前で「稲垣君は自分から言ったからすごいね!」って 褒めてくれました。icon14

これで後輩にも顔が立ちました。

イッケンリャクチャク

僕は今思うと、まわりにすごい人たちに恵まれていたことを今実感しました


 仕事中は、下の物は上の人に対して礼儀を正しくし、立つより返事と言う事を忘れぬ事。


           親父さんの人生訓

泣かされて泣かされて耐え忍ぶ力を作るんだ!!       今の時代は、そこまでしなくてもという時代ですね。   でも言い切れます。

こんな経験をした人は必ず人の気持ちが解り、どんなに苦しくても死ぬことは無いって耐えることができることを・・・・・・・。







今、自分は率先して、上伊那調理師会に参加して調理師の和を広げようと青年部でやってます。
勉強会や初心者的なんちゃって講師としてしなの食大学に参加してます。これからもよろしく!
 

 

山越先生の講習会の1場面

 





しなの食大学の1場面
料理教室と違うようにやっています。包丁の研ぎ方や衛生面のことや調理師が教える研究家や評論家とは違うような講義もしています。
山越先生いわく、知識は、得るもの、知恵は、与えるもの!






  


2011年09月15日 Posted by タカトシ at 11:49Comments(0)

2つ目の転機

二つ目の転機は、あるスランプ続きの時でした。

何をしても上手くいかず、親父さんにドつかれながらも、 

一生懸命付いていきました。

40代の皆さんも経験ありませんか。

結構続くんですよねーーーー。スランプって!

あるめちゃめちゃ忙しい日が2週間ぐらい続いていた日です。

自分は、焼き場揚げ場をしていました。焼き台は、小さいので手のひら

サイズの魚が4匹ぐらい乗ればいっぱいのコンロでした。

そこにですよ、追い討ちをかけ、三匹ぐらいかな注文が入っていたんです。

揚げ物もいっぱいで注文山積み。

すごく焦っていた時です。兄弟子がイサキ三つ入っているよと教えてくれました。  「ありがとうございます。」
急いで魚を出し、飾り包丁をして、火にかけました。

時間も経てばオーダーも終わります。

それが最後の注文で、焼き物は終わりでした。

そして、カウンターに出して「お待たせいたしました。イサキの塩焼きです!」って、威勢よく出し兄弟子がオーダーの伝票を破り捨てました。

その数分後、女将さん(親父さんの奥さん)が、眉間にしわを寄せ、カウンターに入ってきました。

「おのさ、お客さんがイサキの塩焼き四つ頼んだって言ってるんやけど」

少しの間、調理場がシーーーーーンと、なり 親父さんが

「おい!稲垣!どうなっとる?伝票見たか?」って、聞かれました。

そうです。僕は、兄弟子の言うことを聞いて伝票を見ずに終わっていたのです。

さすがに忘れません。背筋にいやな汗がたれるのを。

だけど いつも仕事を教えてくれる優しい先輩にその責任を
振ることは、出来ません。

見ない自分が悪く、親切に教えてくれた、兄弟子は悪くないんです

僕はどうすることも出来ず、パニック状態になりとっさに答えた言葉が

「ちゃんと見ました。」
ガーーーン!    

親父さんが僕に対する信用が崩れ落ちる瞬間でした。

でも、そう言っちゃった以上後にも引けずにいたら 伝票は、

複写式なのでお客様の所から女将さんが持ってきました。

ドキドキ!

恐る恐る、伝票を見ると、そこには、・・・・・・・・・。


つづく・・・。


「信用は無形の財産です。」 


新コーナー
親父さんからの 人生訓


 叩かれて叩かれて強くなるんだ!!
今は、これをすると、愛のムチではなく、暴力になるんだな!

でもね、今までに知り合った料理長は、これを切り抜けていった方たちが、年をとってもみんなに必要とされているんだな!


僕はそのお陰で、板前として食っていってますし、逆境にも打たれ強いです。  

若者よつらい時は続かないよ!あきらめない事!

その先には、やりたいことが自由に出来る、自分が待っています。
                
また見てね!










高遠の夜桜にて
  


2011年09月06日 Posted by タカトシ at 03:14Comments(0)

ホワイトアスパラは、どこえ?

なくなったホワイトアスパラを探してあれこれ20分、未だに出てこない。face07

3人で探しても出てこない。おかしいおかしいと思いながら、頭の中では薄々判っていたのかもしれません。

その冷蔵庫の担当は甲斐でした。でもどうしてうそをついてまで一緒に探しているのが判らなかった。

自分としては疑いたくないし、ましてや、突然、甲斐より下にいた僕がいきなり煮方(2番)になったせいで、

甲斐自体面白くない分、二人の間の空気も最悪に悪かったので、聞きずらかった。

でもその時の僕は、気合十分で仕事をやっていたので、少し、怖いもの知らずでした。

で、甲斐に聞きました。(甲斐、捨ててないよね。) 甲斐は、ふくれっ面で(捨ててません。)と、言うんです。

そこで、僕も時間も遅いし、事が進まないから、イライラしていたので、怒り口調で(ほんとだよな!)

それでも、甲斐は(はい!)のいってん張り。     そしたら 僕の心の中で気持ちがになりました。

落ち着いたわけではなく、切れてしまったんです

外へ出て、生ごみをあさり、缶に入ったホワイトアスパラを見つけ出し、甲斐に(何だこれりゃあ!)

って、投げてぶつけました

もう、そっからは、あまり覚えてません。取っ組み合いの結果、自分は体が小さい分、デブの甲斐には力では負け首を絞められていました。

そのとき、とっさ的に防衛本能というか鼻めがけて、5,6発殴りつけました。そしたら、鼻が折れ、出るわ出るは、がいっぱい

そしてもう一人の弟弟師が止めに入り、喧嘩は納まったものの、甲斐はやめると言って店を出て行ったんです。

さあ、そっからが大変。   みなさんだったらどうしますか?

追っかけます?


僕は何も出来ませんでした。気合がはいっていた体から力が抜け敗北というか

人をまとめる難しさに涙してました。   icon11情けない!

もう頼るのは、兄弟子しかいません。

深夜2時に終わる兄弟子の店に行き、話しました。

兄弟子は、(うん、分かった)といい 後は僕に任して帰りなって言ってくれました。

僕は兄弟子の言葉に甘え、その場を去り、寮に戻りました。

やっぱり、寮には甲斐の姿は無く荷物はそのまま。

その夜は当然眠れませんでした。

朝になり、親父さんに電話。

叱られる覚悟で全部話しました。     

心臓、バコバコで、話してたら親父さんが一言「後は渡辺(兄弟子)にまかせろ!」  

そして、「仕方ないで、医者代は、出さな、いかんな!」と、言われました。icon15

たんたんと時間が経ち、

昼過ぎに仕事場に入った僕は仕事にも集中できずダメ駄目でした。

そしたら、15時ごろかな、店の玄関が開き兄弟子が来てくれました。

そして、その後ろには、甲斐がいるんです。

少しホッとしました。

でも 何をしゃべって良いのか判らず、黙っていたら、甲斐から(すいませんでした。)て、言ってくれました。

僕もそのとき、素直に言えたか判りませんが殴って悪かったと言ったと思います。

いっけんりゃくちゃく!

では無く、この時学んだことがあります。

そこが大事なとこ、だれがこの事件を解決させたのか。

そう、兄弟子です。後から聞いたんですが、あの相談に行った後、

兄弟子は甲斐の実家まで行き(1時間ぐらい離れた所)甲斐の車の横に車を止めて朝まで甲斐が出てくるの

を待っていたそうです。    えー!     それから喫茶店で話したそうです。

それってすごくない!!

正直 そこまでしてくれる人だと思っても無かったんです。

そこで知りました。煮方(2番)って仕事だけじゃなく、仲間も大事にしなくちゃいけないんだと。

だから 親父さんは信頼してまかしていたんだと思いました。

自分を犠牲にして僕を守ってくれた兄弟子に感謝して、その後も、信頼してついていきました。

そして 目標がそのとき出来ました。

早く、2番になり、弟弟師たちの面倒を見たいと、・・・・・。


今だから言える  カミングアウト コーナー! 

実は、さかな屋でアルバイトに来てた女の子といつも目が合うので
気になり始め、告白しようと思い、夜会ってくれると誘ったら

オッケー  

テンション上がりまくりで夜会いました。

夜景を見ながらいろいろ話が出来 ここぞとばかりに告白しようと話そうとしたとき、彼女のほうから話したいことが有ると。

おーーーーーーっ!  逆に告られるのーーーーー。icon14

何ィっicon06。   ドキドキしながら 聞きました。

そしたら、し、し、信じられない言葉が、

あのさー 私 甲斐君が気になるから照会して欲しいの・・・・・・・・・・icon07

だってよっ!

殴った件もあり、仲間を大事にする事が目標にしていたため

僕の背中から羽が生え、頭にはリング。

愛のキューピットになったとさ!icon11

教訓 
早とちりには、気おつけなきゃねicon08

告る前でよかったです。
  



  


2011年09月03日 Posted by タカトシ at 03:44Comments(0)

人生いろんな事あるよね



生まれ変わりってあるのかな

あればそのお陰で自分はこの板前の道を選んだのかな。

今でも不思議に思いながら、板前を続けているんだなこれが!

高校を卒業してから本当の板前修行を始めたのが21歳(遅いよねicon11

それから19年。長いようで短かったね。縁あって駒ヶ根に住むことになり今、未熟ながらも料理長としてやってます。icon22

が、しかし、和食もだけど日本料理 奥が深い 。  これまで以上に勉強しなくては生けなくなりました。

ある人に出会ってから・・・・・・・。              またその方の話は後にします。

出逢いって不思議ですね。生きていく中で何人と出会うんでしょう。その中で何人と友達や知人になれるんでしょう。

今になって、もっと出会いを大事にしとけばと、後悔するときがあります。

だけど自分にとって大きな最初の出会いは 岐阜の調理師会の会長との出逢いです。

名前は寺田 常次郎。わたくしの師匠 です。そのころは、「親父さん」って 呼んでました。

最初の出会いは、義理の兄の紹介で会長の経営されてた、割烹居酒屋さかな屋
で会いました。

自分の布団と着替えと親父の買ってくれた牛刀一本を手にして店に入りました。

あった瞬間  めしゃくちゃビビリました。     え! やくざ

みたいな良い方に見えました。face01・・・icon15      

でも話してみたら ぜんぜん違いました。笑い顔もしゃべり口調も気さくなイメージでした。

会長は、何でも出来る板前を育成していました。掃除、洗濯、サービスマン、etc・・・。

その説明の後、兄弟子二人を紹介されました。2番は煮方の渡辺さん21歳、3番は、ぼい回しの甲斐くん16歳でした。

渡辺さんは真面目そうでしたが、甲斐くんは違いました。ピアスにパツキン坊主でした。face07

うちの会長は、「来る者、こばまず、去る者追わず」 でして人に迷惑をかけなければ若い衆の時は、なんでもOKでした。

21才の僕には自分がどの位置に配属されるかとか、要するに2番か3番かです。

でも普通に4番でした。    当たり前だね!!

しかし、21の僕には4番というより、みんなから見るとデビューが遅れてる分焦る気持ちの方が優先でした。
全部が新鮮で覚えることだらけ、毎日が戦争でした。

けど、16のやつには、負けたくない一心でした。

実際、その会長の下で働いたのは、約3年。その中で、自分は3回自分の転機がありました。

一つ目が、甲斐くんとの喧嘩でした。 

あるとき、他の店でやっていた板前がやんちゃをしてトンズラしたため、兄弟子がその店に派遣され1,2ヶ月行っていたとき、

煮方のいない店になりました。

もう入店してから1年ぐらい経っていたので、自分なりの要領のよさで、3番に地位が上がって僕の下に、甲斐ともう一人ました。2番の方にも可愛がられていろんな経験をさせていただいてたころでした。

自分で言うのは、おこがましいですが、責任感が強いのが僕の長所なので、自分がしっかりやらなきゃというプレシャーが2週間ぐらい続いたころです。

店を閉めて、親父さんが帰ってから冷蔵庫の整理をしていたのですが、そのときある場所にあるホワイトアスパラがどう探しても無いのです。

ん!   もしかして、・・・・・・・・・・。      



つづく。


今だから言える   カミングアウトコーナー!

実は、会長には、隠していたんですが渡辺さん良くナンパにつれていってくれました。
たくさんは無いけど、成功率30分の2ぐらいでした。    ポリポリ
 




  
タグ :板前修行 


2011年08月31日 Posted by タカトシ at 23:48Comments(0)

はじめまして

自分は

生まれも育ちも岐阜県瑞浪と言うど田舎で育ちました。
両親と3人兄弟の5人家族です。

自分は末っ子なので割りと甘やかされて育ったと思います。

割と家は貧乏ではないが、ギリギリの生活をしていたと思います。

だから食べるものは、よく山菜川魚野鳥を食べさせられました。

実家は

居酒屋(昔の赤提灯)をやっていましたから、仕事中に母が焼きそばやらお好み焼きやら作ってくれたのを思い出します。

誕生

1971.5.1に生まれ、孝俊と名づけられ、今まで生きてきました。

親父の父が(おじいちゃん)亡くなったのも同じ日で亡くなってから1時間後に生まれたそうです。

だからよくじいちゃんの生まれ変りと言われました。icon22

実は、じいちゃんは、生前、出張料理人をしていたのでそのお陰で自分は、料理人になっているのかもしれません。face02

  


2011年08月27日 Posted by タカトシ at 03:52Comments(0)自己紹介